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対案がなくても反対はするべき

何かの会議とか、話し合いの場で、ある提案に反対すると「じゃあ、どうするのがいいの?」と対案をよく求められる
対案が無いと、「案も無いのに反対するな!」と逆に怒られることもある。

しかし、その「反対」が正しいことと、対案のあるなしは全く関係が無い


例えば、次のような例。

Aさんが、「野球で打席に立つのは1人なのに、守備側は9人もいる。これでは多勢に無勢で、卑怯だ。守備側もピッチャー1人にすべきである」と主張した。

言うまでもなく、むちゃくちゃ。常識で考えておかしい。
なので、「そんな提案はばかげている」と反対した

するとAから、「じゃあ何人がベストやねん」とつめよられる。

ベストと言われても、守備側の人数が果たして9人でベストなのかどうかは、分からない。
なので「いや、それは分からない」と答えると、Aは「ほら、やっぱ1人の方がいいやんけ」となった。


…いい例かどうかはさておき、「守備側を1人にするべきだ」というAの主張に反対することは、間違っていない
バットにあたればランニングホームランなどと言う野球を見たい人はいないだろう。


このように、すっとぼけた提案をしておきながら、こちらが反対すると、「対案もないのに反対するのはおかしい」というようなことを言う人がいるが、おかしな提案には反対するべき(反対の理由は当然必要)。
「案を出しているだけマシ」と言われるかもしれないが、その提案が通ってマイナス方向に進むことと、とりあえずは現状を維持することと、どちらがいいのか明白である


対案が無くても、「反対」することは正しい。
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